わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

入口であって,全貌ではない

なかなか興味深い書評.『かけ算には順序があるのか (岩波科学ライブラリー)』は,かけ算の順序論争を知る入口にはなるが,算数・数学教育の全体像には到底及んでいないことを,再確認させられる.

ところが、後に僕らが高校の数学の授業で習うように、現実にはかけ算は交換法則が成り立つので、
 30×5=5×30=150
となり、答えを導出することを主眼におくならば、式に順序があるという「こだわり」はナンセンスだ。

高校の数学で学習するのは,行列の積は一般に交換可能ではないこと,ではないかと*1
「数」を対象としても,四元数は交換法則が成立せず,八元数は交換法則・結合法則が成立しない.これは数学史の中で語られがちだが,『算数教育指導用語辞典』にも書かれており,算数・数学教育においては,「形式不易の原理」に関連する豆知識と言っていい.整数→有理数→実数→複素数→…と「数」を拡張していっても,それまで理解し活用してきた演算の性質(交換法則・結合法則・分配法則)が同様に成り立つのか,そのつど確かめなければならない.小学校の範囲では,(0以上の)整数→小数→分数に限られる(そしてその範囲ではいずれも,交換法則は成り立つ).
交換法則は,もちろん小学校の算数で学習する.なのだがその際,「交換法則とは何か」には注意を必要とする.学習指導要領解説や,多くの書籍では,「3×4と4×3の積が等しい」ことを交換法則(の一例)とみなしており,これを3×4=4×3と書く(ただし,この形の等式は,2年で必ずしも学習しない.4年になると□×△=△×□という式が見られる).「3×4と4×3は同じことを表している」ではない.

たとえばこういうふうに考えこともできる。1個25円のリンゴが3個一山で売られていた。4山買ったらいくら払えばいいのだろうか?順序を考慮するならば、
 25(円/1個)×3(個)×4(山)=75×4=300円
だ。しかしだ。かけ算の交換法則が成り立つとわかっていれば、
 (25×4)×3=100×3=300円
と計算した方が、暗算が圧倒的に楽になるし確実になることを誰もが経験的に知っているはずだ。

書かれた意図と異なるのは承知で,これは「順序にこだわること」の弊害をあらわにしている.というのも,その種の問題は,小学校では「乗法の結合法則」として学ぶからである.
すなわち,25×3×4と式に表した上で,(25×3)×4=75×4=300としても,25×(3×4)=25×12=300としても,積は300である*2.これまた「かけ算はかける順序が違っても答えは同じ」である.
これは,交換法則の問題(としたかった話)を結合法則の問題にしようとしている,というわけではない.むしろ「順序」の指す対象が多彩であることを示している.実際,高木貞治は『新式算術講義 (ちくま学芸文庫)』の中で,かけ算の交換法則と結合法則の両方をさして「因数の順序」を使用し,その順序を如何様に変更しても結果は同一であると述べている.
「順序にこだわる人」とは,乗法の意味の話で「順序」という言葉を持ち出す人をいう.そんな人ほど,結合法則や,その他の乗法の性質を軽視して,かけ算を議論しているように見える.したがってその偏狭な主張は,学校の先生や文科省の人に,説得力のあるものとして伝わらないようである.
なお,「25×3×4=25×4×3」という等式は確かに成立するが,しかしそのことをどのように教えればいいかというと,もう少し検討が必要なように感じる.実際,そのような計算を含んだ学習指導案や授業例は見かけない.これは,「25(円/1個)×3(個)×4(山)」あるいは「25円/個×3個/山×4山」を計算すれば,なぜ,「300円」になるのかと同様に,教育的価値が低いためだろう*3

いや算数にしろ数学にしろ、正しい解答(答え)を出すために確実な方法を教えるべきで、過程があたかも一つしかないかのように教えるべきではないのではないだろうか?それなのに、現実の小学校教育の現場では「正しい答え」ではなく「正しい解き方」が優先されると言っていい。

今回出された書評をきっかけに,もっと様々な人が記した「算数教育」の本を読むことを希望したい.かけ算にもこだわることなく.私が,本や,アンテナに入れているブログから得たのは,「過程があたかも一つしかないかのように教える」と真逆である.
本を列挙したいが,こういときに限って良書が思い浮かばない.さしあたり2012年2月2日(算数ものづくり2 - 授業研究における指導案とは)をお目通しいただけると幸い.
最後に自戒をこめつつ.「昔はこうだったから」「外国ではこうだから」「ネットではこうだから」といった主張は,「そうだね.それでね…」と返され無効化される.主張を通すには,昔と今の間に何があったか,外国と日本には,ネットとリアルとでは,どんな共通点と相違点があるかについて,考察をしっかりと行わねばならない.

*1:ただし今年度からの入学者は,我々が学んだような行列を学ばないらしい.とはいえこれまでも,高校の中で行列を学習していたのは2割程度だったそうだが.

*2:形式的処理だけでなく,意味についても,前者の計算は,リンゴ一山の値段を経て総額を求めており,後者の計算は,4山のリンゴの個数を経て総額を求めているという点で,意義深い.

*3:次元の異なる3つの数について,かけ算の式で表し,積を求める話では,交換法則・結合法則だけでなく,総合式・分解式の概念も重要になる.「25×3×4=(略)=300」(総合式)も「25×3=75,75×4=300」(分解式)も,理解は困難ではない.しかし「25円/個×3個/山×4山=(略)=300円」に対して「25円/個×3個/山=75円/山,75円/山×4山=300円」とする数理を,小学生に(どのように)学ばせるべきだろうか.