わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

素人

タイトルに「む?」と,違和感を覚えました.
本文全体は,ニュートラルよりはやや共感できるほう,といったところです.従軍慰安婦問題あるいは歴史認識の記述に関しては,Webや,少ないながら本を通じて知った知識と照らし合わせて,引っかかるところはありませんでした.
ともあれ,本文の中から,引っかかったところを抜き出します.

あなたが自説の正しさを主張し、日本の過去の蛮行を弁護するのであれば、議員秘書相手にこんな対話をして私のブログのコメント欄に貼り付けるのではなくて、事実や史料をきちんと引用したもっと論理的な論文を歴史学会の学会誌に投稿されることをおすすめします。

「真実を知ってほしい」さんの次の問題点は、筋道立てて何か言いたいらしいのだけど、それが網羅的でも具体的でも実証的でもない点です。また、その筋道も独りよがりな点です。(苦笑)

歴史学者たちはいろいろな国、地域、軍内の命令系統、部隊、事件などについてそれぞれの調査をして、それぞれの真相を調べています。それらすべてを徐々に積み上げて総括したうえで、日本軍の所業や思想を断罪しているのです。なぜ議論がかみ合わないかというと、あなたもその一員である歴史修正主義者たちがそういう歴史研究の積み上げを無視した主張をするからではないでしょうか?私は、歴史修正主義者たちの主張は歪曲に満ちていて、歴史研究的にはもちろん、道徳的にも崩壊していると思っています。

ところで,このブログには,今年,当日記からリンクをしています.リンク元九九する究めるハックする,リンク先はかけ算の順序 (ブログ「お花畑めざして」から) (訂正・追記あり) - 村野瀬玲奈の秘書課広報室です.
それで何かというと,「かけ算の式の順序にこだわってバツを付ける教え方は止めるべきである」や「かけ算には順序があるのか」といった命題や問題意識のもとで,結局のところそんな指導はすべきでないという人々(悪意のあるラベリングを承知の上で,以下では「批判者」と略記します)の個々の主張,そしてそこから描ける全体像というのは,網羅的でも具体的でも実証的でもないし,筋道も独りよがりに見えるのです.


批判者とは別に,算数・数学教育に関わる人々がいます.具体例を挙げると,大学でそういった講座・研究室を持つ教員やそこに属する学生と,現職の小学校教諭のうち算数を専門とする方々です.リタイア後も関わるだとか,ご経験をブログや本にするだとかいった方々のことも,無視するわけにはいかないでしょう.

そういった人々が,算数教育の系統や,学校教育(教育評価)・学級運営から見た算数の指導法,他校の取り組みについて,調査をしたり,また自ら研究授業を実施して批評を仰いだりしながら,学習者=子どもたちに何を修得してほしいかを究明しています.人によっては学会発表や国際交流を通じて,自分たちの考え方や指導法を伝えると同時に,海外の算数教育の理解に努めています.我々は海外の研究者・教育者らと直接目にすること,会話することができなくても,そうして関わった方が書かれる報告記事などから,その一端を知ることができるわけです.

教育学部がある大学では,図書館に所蔵されている雑誌・紀要のバックナンバーや,書籍をもとに,時代に応じて移り変わる指導の仕方や出題の例を,見ることもできます*1.書籍名や文献情報が特定できたなら,Amazonで本を買うことも,CiNiiで記事をダウンロードすることも可能な世の中です.
それで,上述のうち「網羅的でも具体的でも」ないというのは何かというと,批判者は算数・数学教育の実情---過去はもちろん今年のことまで,そして国内・国外も---を把握・整理していないのです.もっと正確に言うと,「かけ算(乗法)」に関連するトピックに限定したとしても,現在の算数・数学教育がどうなっているのか,そして自分の主張との違いがどこにあるのかを,論者自身が明確にしていないのです.
私がなぜそう思っているのかについて,批判者の主だった主張を読みながら得た2つの点を挙げていくことにします.まず,現在の算数・数学教育のノウハウが集約・分類されている本が2冊あります.

数学教育学研究ハンドブック

数学教育学研究ハンドブック

算数教育指導用語辞典

算数教育指導用語辞典

なのですが,それらの本も,その中のトピックだとか文献だとかも,批判者が取り上げ検討している形跡が見られないのです.取り上げるだとか引用するだとかよりも,ここで指摘しておきたいのは,算数の何らかの出題・指導を目にして,疑問に思ったとき,「とっかかり」としてアクセスする,信頼できる情報の不在です.別の言い方をすると,「愚者は経験に学び,賢者は歴史に学ぶ」です.教育を論じる際,経験に学び,歴史に学ばないのは,さて誰でしょうか.

もう一つは,「□×△と△×□は同じことを表す」という知識*2を,第2学年から組み入れた場合,それが現在の小学校の算数,というのが大きすぎるのであれば,学習指導要領の記述と,どのくらい齟齬が起こりそうなのかの検討,配慮です.
真っ先に思い浮かぶのが,「小数×整数」は4年なのに対し,「整数×小数」は5年となっている点です*3.学習指導要領解説との兼ね合いだと,包含除・等分除と乗法との関係(第3学年),3用法(5年)あたりも,気になります.それと,5×3という式が「5個ずつ3人に配る」も「5人に3個ずつ配る」も意味することになるので,記号×を用いた式の簡潔さや明瞭さ(2年,数量関係)のとらえ直しも不可欠なように思います.


「実証的」でないというのは,想像できると思いますが,批判者による,ピアレビューされている著作の不在です.ピアレビューの対象には大きく2つあって,一つは学会に投稿する(広義の)論文です.査読があるにせよないにせよ,刊行されてからも同業者評価が待っているわけです.
算数教育には,もう一つ,異なる形態のピアレビューがあります.学習指導案」です.それを見れば,1回の授業のwhy/what/howが分かり,単元の中や学年間での,学習内容の関連(を授業者がどのようにとらえているのか)も,容易に知ることができます.先生方のつくる学習指導案は,研究室・研究分野によっては必須とされる,「実験プロトコル」(wikipedia:プロトコル)に相当します.
学習指導案にはよく,「予想される児童の反応」が書かれています.言うまでもなく,実際に授業をする前に,書きます.一つの出題に対して複数の反応を挙げることもあります.複数の反応が出るような出題選びや,一つの「まとめ」に収斂できるような授業進行の設定が,重要な要素となってきます.
ここでもまた,その授業に立ち会わなくても,学習指導案(と,可能であれば授業実施の報告)を読めば,算数を専門とする先生方には,標準的な進め方との違いを知ることができます.面白い方法なら,自分もやってみようとなるわけです.学習指導案はWebで読むこともできますし,教育学部教授の監修のもと,本になっているものもあります.
ちなみに,一つの場面に対して,3×4も4×3もそれを表す式になるという学習指導案が,『誰もができる子どもに活用力をつけるワクワク授業づくり―第2回RISE授業実践セミナーの報告』p.69で読むことができます.かけ算に順序がないことを授業の場で定着させるなら,そういった先行事例を知り,そこでの問題点の解消方法をよく検討しないといけないでしょうね.それと別に,一つの学習指導案が…ではないのですが,算数教育に関わる方が提案した,分数のわり算の計算方法が,おそらく多くの学校教室での利用を経て,学習指導要領解説に掲載されたとして,『確かな算数・数学教育をもとめて (杉山吉茂算数・数学教育論選集)』に記されています.
そういった事例と比較したとき,次のことを指摘しないといけません.批判者は,自らの主張をどのようにすれば「教育を変えられる」かについて,具体的な形を持っていないのです.少々乱暴にいうと,「これだけ言えば分かってくれるだろう」「あとは現場の先生方に任せた」なのです.
批判者の発想や,Webで発する内容について,「道徳的に」「崩壊している」とまではいかないにしても,残念ながら,今の教育,そして今の小学校の先生に対して,ご苦労を共感的にとらえ,助けの手を差し伸べているようには,到底思えません.
それでは,批判者の発想や,提案する授業方法を,小学校を介さず,直接子どもたちに作用させるというのは,どうでしょうか.
自分のお子さんなど,1人あるいは少数に対しては,「分かった」と思ってくれるかもしれません.
ですがその経験を多数そろえてブログに報告するなり,本で出版するなりしても,その学校現場への活用には,大きな壁があります.というのも,被乗数と乗数の区別をしない指導法では,うまくいっていないという事例が,報告されているのです.以下の2件はともに,「倍」と「積」から学んだことからの孫引きです.

The Cartesian product is so nice that it has very often been used (in France anyway) to introduce multiplication in the second and third grades of elementary school. But many children fail to understand multiplication when it is introduced this way. The arithmetical structure of the Cartesian product, as a product of measures, is indeed very difficult and cannot really be mastered until it is analyzed as a double proportion. Simple proportions should come first.
([Vergnaud 1983] p.135)

中国の教科書で被乗数と乗数の区別を廃止したという例がありますが,[国教研2009] p.181には以下のように書かれており,簡単ではないことがうかがえます.

乗法の学習は第2学年上半期に九九に伴って始まる。1つ前の教育課程から, 「一部分の学習者が被乗数と乗数の区別に難儀を感じる」,「中学校に入ったら被乗数も乗数も因数として扱う」などの理由で,被乗数と乗数の区別をなくし,最初から因数として扱うこととした(略)。これについて現場の授業等を観察したことがある。この処理は数計算の場合大きな差支えがないかもしれないが,量の扱いではやはり不具合があって,教師たちの丁寧な対応によって乗り越えているところである。

なお,ここまで「学習者=子ども」にウエイトを置かない書き方をしてきたのには,事情があります.主だった批判者がみな,小学校の先生ではない*4ですし,私自身も違うわけなので,そういった中での「子どもが…」だとか

日本の教育は、無限の可能性を秘めた自由な人間を、可能性を自ら限定する不自由な人間を育てる場所なのでしょうか?...そういう感想を持ちました。

かけ算の順序 (ブログ「お花畑めざして」から) (訂正・追記あり) - 村野瀬玲奈の秘書課広報室

だとかには,説得力を覚えないのです.そうですね,たとえば村野瀬玲奈さんは,「算数的活動」についてはご存知でしょうか?*5

この点を含め,算数教育をどのような立場で観察(・意見)することになるのかを,明快に記した本を,今年読むことができました.『[isbn:9784792201005:title』です.それを読んで思ったことは…過去のエントリを抜粋しましょう.

「かけ算の順序」に関する現状の教育について,「教育者の伝統」「経験的科学者の伝統」「学者的哲学者の伝統」のそれぞれに近い文献を提示するのは,容易です.私の[5×3]カテゴリで,2011年に書いてきたことは,それら伝統への探求と言ってもいいくらいです.一方,その教育の仕方への批判を見ると,『かけ算には順序があるのか』は,学者的哲学者の伝統に一応近く,あと1972年に遠山啓が書いた,トランプ配りの乗法への適用を含む記事は,教育者の伝統に一石を投じるものと見ていいでしょう.しかしいずれも「伝統」への結びつきは十分と言いがたく,加えて,経験的科学者の伝統に関連する情報源というのは,思いつきません.

教育者,経験的科学者,学者的哲学者 *1

最後に,冒頭の「む?」について,違和感の正体を明かしておきます.村野瀬玲奈さんは,従軍慰安婦問題あるいは歴史問題について,専門家から見れば「素人」扱いされるのでしょうが,ネット上ではその情報量から,もはや「素人」の域を脱しています
自分も,算数・数学教育に関しては,そういう立ち位置にいることになりそうだと,認識する機会を得た次第です.


関連:


思い出したことを.

その訂正とは別に、硬直した算数の指導法と日の丸君が代を強制する思想の硬直性に共通点を見たふなぼりすたさんの意見はそのまま的を射ていることを申し添えさせていただきます。

かけ算の順序 (ブログ「お花畑めざして」から) (訂正・追記あり) - 村野瀬玲奈の秘書課広報室

算数の指導法は,いろいろな本を目にしてきた限り「硬直」しているとは思えませんが,そこについては改めてエントリを書くことにしますそこはまあ見解の相違と理解しております
生まれ育ちは大阪府堺市なので,府政・市政にはそれなりに関心があります.君が代と教育については,知事の掌握術を書いています.堺市関連では,「私は高校時代に歩いて通った」を書き,この種の発言を,人と関わり生きていく中で最もしてはいけないものとして,自戒しています.
(最終更新日時:Fri Sep 28 06:49:25 2012ごろ)

*1:また現在までほとんど変動のない事柄も,うかがい知ることができます.そこに行き着くまでには,多くの本や情報に接し,記録や記憶として,蓄積していく必要があります.

*2:学習指導要領解説や,多くの授業事例,子どもらの考えから知ることができるのは,「乗数と被乗数を交換しても積は同じになる」そして「交換すると,同じ意味になるとは限らない」(「例えば2×1と1×2は,積は2で同じだけど,意味が違う」)です.

*3:算数授業研究 VOL.83』pp.6-7では,「小数倍」すなわち「整数×小数」も4年で指導すべきという主張が書かれています.こういう提案を活字にできるところが,「筑波の算数」の強みだと思っています.

*4:一人,いらしてたかな.ただあの方も,書き方からして算数を専門としていないし,算数を専門とする先生と十分にディスカッションしているようには見えません.

*5:さすがに「スマラン事件」ほどには,多くの人に知られていないと思いますので,補足をしますと,学習指導要領の改訂により,「算数的活動」の充実が求められるようになりました.国語を中心とした「言語活動」と,密接な関係があります.そしてこれは個人的な見解ですが,「算数的活動」は「正しい式・答えを書くこと(式・答えを書いたらおしまい)」という学習観から脱却を図るものとなります.