わさっきhb

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公助がない?

昨日,学内で催された講演会に出席しました.講演者は2人です.90分を半々に分け,前半には「情報化と地域協働」,後半は「社会を支え未来を変革するITビジネス」というタイトルで,お話しをされました.主な出席者は学科の1年生ということもあり,こちらは気楽に聞くことができました.
なのですが,前半最後のスライドに,「理念:自主 自助 共働 共助」と書かれた画像が貼り付けられていたのに,違和感を覚えました.「なんとか助」であと一つ,思い浮かぶ,「公助」が入っていなかったからです.
メモを見直すと,お話しの中盤には,官=行政に頼ってばかりではいけないともおっしゃっていました.とはいえ「官民協働」という言葉もありました.講演された方はそういった社会状況の中で,地域社会の持続可能な事業活動*1を担うことのできるNPOやNon-Profit活動の重要性を説いていました.
「公助」が書かれていなかった理由ですが,講演会の中では,次のように考えました.社会に存在し,活動したり助けを求めたりする,個々の人の視点では,行動を支えるのが「自主」「自助」「共働」「共助」の順であり,官=行政による支援,すなわち「公助」はしばしば当てにできない,ということです.別の言い方をすると,「自助・共助・公助」*2は,社会を外から見たときの,助け合いの3点セットとなります.
帰宅してhttp://www.akibudou.sakura.ne.jp/yamabiko21-1-17.pdf)という文書もヒットします.そういったところが「公助」と書かないのはきわめて自然なことです.


学科の1年生の多くが出席する状況を見たのは,ゴールデンウィーク明けの持ち回り授業以来です.今回の講演で感じたことを,自分が1年だったときのことを思い出しながら,書こうと思ったらすでに書いてあったので転載します.

入学直後の学科のオリエンテーションだったかで,もらった印刷物の中に,ある先生からのメッセージとして,ここの大学の学生の特徴を,著名な他大学と比較する,というのがありました.要点は:

早稲田との比較は,言い換えると「おとなしい」ということです.東大を引き合いに出したのは,「詰めが甘い」ということなのでしょう.

大学生活の思い出

各大学生の気質が,当時も今も同じであると,断言はできません.そもそも,自分が学生のときは「和歌山大学システム工学部」はありませんでした.
ただ,学科の学生は,総じておとなしめの印象を持っています.
とはいえ指示待ち族というわけではなく,教員が,あるいは友人でも誰でもいいのですが,「何か」が提示されると,きちんと反応しているのを,よく見かけます.
食いつく「何か」---古い言い方だと,知的好奇心をそそるもの---を用意し良いタイミングで提示すること,一歩踏み出せる環境を整備すること,これらは教員としての責務です.
そういったネタの提供や環境の整備が,学生にとっては「公助」ではなく「共働・共助」となるようにも,していきたいところです.

*1:このあたりの四字熟語の並びは,手書きメモからの抜粋です.

*2:先月書いたのは:ダンボールでまちづくり