わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

主役の特性,ではなく,守約の徳性

深い学びを支える数学教科書の数学的背景

深い学びを支える数学教科書の数学的背景

算数教育に焦点を当てた『授業に役立つ算数教科書の数学的背景』については,2013年はトランプ配り,1988年はアレイにて取り上げました.今回の本では,編著者が増えているほか,小原豊氏は関東学院大学教授となっています.
本日書き出すのも,また,小原氏による記述です(p.11).

(3)塾での数学指導と学校での数学指導
塾で教える数学と学校で教える数学は「同じ」ものでしょうか。知識や技能としては同様ですが,考え方や態度の面では,上述(2)で触れたように,塾と学校の指導には画すべき一線があります。「塾」は如何なる理念を掲げようと教育をサービスとして提供し,学力の向上を志望校合格といった切実かつ具体的な目標達成を支える営利企業です。そして「学校」は,学校教育法(昭和22年法律第26号)の第一条で定義された教育施設であり,文部科学省を監督省庁とした公の性質をもち,生徒の全人的な資質・能力の育成に務めねばなりません。
これは「塾」の数学指導が技法的であり「学校」の数学指導のほうが深淵だと論じられるほど単純な話ではありません。本来の社会的な使命が異なるのです。極論すれば,「塾」ならば受験に頻出傾向の問題を手早く効率的に解く技能の習得に終始して構わないでしょう。そこで概念的な理解や興味関心の喚起を図っても,それはあくまで発展問題への備えや記憶定着への支えに過ぎず,一条校のように生徒の人格形成に責任をもつ必要はありません。しかし「学校」では,数学の問題が解けるという成果を重視しつつも,その仮定で数学の内容と形式がもつ素晴らしさを伝えるとともに,先人の努力や工夫に感謝と敬意を覚えずにはいられない気持ちを引き出すことで思慮や節度を培わねばなりません。また,正しい結論を導く上で,暗黙とされている仮定や不明確な条件に疑問をもち,根拠に基づいて自らを判断していく仮定*1で,自主自立や守約の徳性を培わねばならないのです。
昨今,多くの自治体において公立中学校に学習塾講師を派遣して受験対策の数学指導を行う講座が開かれています。これは生徒や学校のニーズに応える一定の意味のある試みですが,学校と塾での指導の本質的な差異には留意すべきです。

生徒で6年間,講師で8年間,通っていた塾*2を,大学教員着任に伴い離れて,ずいぶん経過しますので,塾に関する上の内容が,実情を反映したものであるかどうかを判断することはできません.
とはいえ,否定文にしながらも「技法的」「深淵」という表記を用いたことについて,意図が分からないでもありません.1つの問題を複数人でああでもないこうでもないと考え,解き方や答えを共有したり,ある問題をあの人はこう解いたけれど自分はこう解いたと,比較したりした経験というのを,思い浮かべてみると,塾でそれらを行った記憶は,ほとんどありません*3初等教育・高等教育を含む,学校ならではの学習経験と言えます.別の言い方をすると,塾では1つ1つの問題を解くのに集中した*4のに対し,学校ではその周囲にも思いやることができたのでした.
さて,その本がターゲットとしている,中学の数学教育とは別に,表記で戸惑いを覚えたのは,上記のうち「守約の徳性」でした.「主役の特性」と書いてしまうと,ヒーローが持つべき資質とか,あいつタイミング良く現れるなとかになります.ではなく,「守約の徳性」です.
「守約」は「しゅやく」と読み,文脈から,「約束事を守ること」と推測できるのですが,オンラインで引ける辞書には,この語が載っていません.あえて挙げるなら,守約 - Wiktionaryでしょうか.
国立国会図書館デジタルコレクションで,調べてみると,そこそこヒットしました.
例えば,明治14年刊の吉見経綸(編)『修身論略 巻之下』には,「守約」の項目があり,http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/756698/4より読めます.文は「凡そ約束は必す履修すへきの務を負ふものにして如何なる事情あるも之を背くべきものにあらす」より始まっており,「守」の字はないものの,「約束事を守ること」と言ってよさそうです.


次のpp.12-13も小原氏の執筆となっており,「\sqrt{72.3}は8と9のどちらに近いか?」に対し,2人がそれぞれの根拠で「8に近い」「9に近い」と解答しています.y=\sqrt{x}のグラフをもとに,一方を誤りと結論づけていますが,作図ツールが使えるのなら,\sqrt{72.3}の値は一発で求められるんじゃないの,と思ってしまいました.

*1:原文ママ.「過程」でないと意味が通らない.

*2:昔話:http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20070307/1173215547

*3:ただし自分の場合,学校でも塾でもなく,堺市内の将棋教室で,大盤の詰将棋の駒を動かしながら解いた経験を,まずは思い浮かべます.

*4:塾の教室内外での人間関係はありましたし,昨年末に読んだ『人間タワー』では中学受験の塾において,その状況を読み取ることができました.