いつものように職場に到着して,オンラインで出勤の記録をし,来週金曜から始まる授業の準備にかかっていたときのことです.
スマートフォンに着信が入りました.しかし登録のしていない番号からで,取る前に切れました.
再び,着信が来ました.今度は兄のフルネームが入っています.
取って,「もしもし」「あのな」のあとに,(実家の;以下略)母が死んでいることを聞かされました.
救急と警察を呼んでいる,とも.
兄から再度連絡するとなり,まずは電話を切りました.
先週も元気にしていたとはいえ,観覧車に,押し込めるを書いたとおり,足取りは必ずしも,確かではありませんでした.断片的に言動を見てきた者としては,母は体力・気力ともに「波」があり,両方が低下したとき,永眠したように,思えてなりませんでした.
多くの教職員は出勤していない状況だったので,最低限連絡しないといけないところを把握して個別にメールを作成し,すべて送ったのは10時を過ぎました.イオンモールで昼食をとり,和歌山大学前から堺までは特急サザンに乗って,母の家に到着したのは,午後3時半のことです.
当ブログではこれまで,「親心」というカテゴリーを使用し,そこでは大部分が,母をめぐる出来事でした.
母の死および葬儀に関しては新たなカテゴリー「親心R6」を設けました.